メディアリテラシーと人間力の関係。 

T先生の「メディアリテラシー」の話に、関連して思ったことを。
(先生のブログのコメントに書こうと思ったのだけど、またまた長くなりそうなので、本ブログ記事にすることにした。
本ブログにはKAILその3を書かねば〜と思って準備中なのだけど、まだ書ききれてない。。もう少しメモを見ながら味わって書きたいので、アップにはもう少し時間がかかる模様。)

マスコミ報道により、
「それが大勢の考え方だ」「これが正しい道だ」と思わせられる向きは本当に多いと思う。
それを問う意見も方々で見るから、危機感を感じている方々も多くなっているのは事実だろう。
しかし、メディアは社会現象的に増大している。
新聞、雑誌、書籍、テレビ、ラジオに加え、インターネット・携帯電話の出現・進化で、HP、メール、ブログ、携帯メール、動画・・・とメディアの種類が数え切れないほど増えている。

そんな中「メディアリテラシーの大切さ」が言われてきた。





メディアリテラシーとは、以下yahoo辞書で検索した引用。
===
メディア‐リテラシー【media literacy】

《literacyは、読み書きの能力の意》

1 コンピューターや先端的な情報通信機器を使いこなせる能力。

2 メディアに対して主体性を確立すること。コンピューターネットワーク・テレビ・音楽・映画・出版物などさまざまなメディアが伝える価値観・イデオロギーなどをうのみにせず、主体的に解読する力をつけること。


[ 大辞泉 提供:
===
私自身は、メディアリテラシーとは
本来は、教えられるものではなくて、「何が本当なのか、自分で探り決めていく力」なのじゃないかと思っている。
が、社会を知らない子どもたちにはもちろん教えていく必要はあると思っている。

私自身、この「メディアリテラシー」という言葉に最初に出会った時、
「これって何を指しているのだろう?」と調べた記憶がある。
そして、
「ああ、そうだ。メディアはすべてが正しいわけではない。自分で自分なりの回答や意見を持ち、
メディアやコンピューターを使いこなす必要があるのだ」と理解した。

さて、現代の大学生には、必要とされるスキルがかなり高度になっているように思う。

気の毒に思わないこともないが、それは、時代性という言葉で説明されてしまうような気もする。
私たちが学生だった時代は、とくくれるかどうかわからないが、
(もちろん絶対論で時代性とは言えないのだが)
地域も含む「社会」というものに、子どもたちが触れる機会が絶対的に減っていることにも要因があるのではないかと感じている。

その昔(私たちが子どもだった頃以前は)、地域社会でのコミュニケーションは立派なメディアの一翼を担ってきたと思う。
その中で、私たちはいいことか悪いことか、相手の気持ちを考えた発言行動を学んできたと思うのだけど、
現代にはそんな場がなかなかない。

今の大学生は、、どう思っているのだろうか。
メディアや地域社会との自分の位置は、はかれているのだろうか。

大学生だけの話ではないが、メディアリテラシーについての問題は、
技術の進化に、人間力がついていってないからのことが所以だと思う。

では、どう対処するかというと、

人間って、「問題」と思うことが起ってから気付くものだから、、と規定すれば、
そのひとがどの時点でき気づきを得るか、で変わってくる。
ゆえにその人次第である、という結論になる。
(あくまでも私の論です)

学生さんにはメディアリテラシーもだが、
経験のボリュームを増やす中で、
自分は、社会は、何を必要とするのかを考えて欲しい。
私自身、関わる大人として、そんな場を少しでも提供しなければと思っている。
(オルタナティブビジネス論的になってきたなー。)


個人的には、だからこそ、私は自分の子どもたちには、
いろんな世代の人たち(特に大人)とのかかわり・会話の中から自分なりに思うことが得れる機会はかなり貴重で、欲さないと得られないものだと思うので、
それらにふれあう場に連れ出すことを意識的にやっている。

知人たちには、その意向も伝え、会話をして欲しいと伝えている。

実際にうちの子供たちがどう思っているかは、毎回確認できてはいないが、
それらの経験が蓄積されて、どこかで「ああ、そういえば」という経験知(値)になればいい。
親としては、あえてそれくらいしか考え付かない。

ひとつだけいうとすれば、
「メディアリテラシーはこうだから、こうしなさい」というほど、
わからないでもないが、使えないものはない、ということだ。

頭では理解できても、腑に落ちない、体感できないものは、使えない。利用できない。
知識は、ためるだけでは意味がない。
知識を使う方策、それこそがメディアリテラシーなのではないかと思う。

あーまた長文になってしまった。
[ 2008/06/21 23:00 ] 地域づくり・ひとづくり | TB(0) | CM(4)

私もマスコミに多少関わっている身なので、「天に唾する」テーマでもあります。いまの学生に比べて私が学生の時、メディアリテラシーがあったかどうかはわかりません。比べようがないのかな???
いまの学生にとってメディアリテラシーが必要な事情はわれわれの時代とは違う気がします。そのうち、まじめにブログで論じてみたいと思っています。
ん?かたいコメントでした(笑)。
[ 2008/06/21 23:26 ] [ 編集 ]

先生、早々のコメントどうもです。
そーですね、我々の世代とは違いますねって、先生と私も一回り違うのでなんとも(笑)。と言っておきます。
先生はコメンテーターという位置づけで関わられることが多いので、リテラシーを強要される場面も多いかもしれませんね。。「これ違う」と思っても番組がそういう方向で落とすとなったときに、出演拒否できないわけでしょう?
(と、また石を投げてすみません・・・)
[ 2008/06/21 23:37 ] [ 編集 ]

マスコミに関わる時点で多くを期待しないようにしています。一人の力でマスコミの大きな構図は変えられない。といって「知らんぷり」することはしないといまは心に決めています(少し前は「知らんぷり」を決め込んでいました、数年間)。やれる範囲のところから、やれることをやろうと開き直ったから、いまは関わっているのでしょうね。
関わる以上、「わかりやすさ」を否定しないスタンスに立ちます。こうなってくると、言っていることとやっていることが違うと揶揄されそうですが、そういう危うい局面で何ができるかにチャレンジしたいと思っています。実際、コメントはシナリオ通りではないことが多いし(笑)。
[ 2008/06/21 23:46 ] [ 編集 ]

コメントしづらいことをふってすみません。
私もメディアに関わってきた人間なので、
そのジレンマは理解しているつもりです。(まあ、実際メディアに関わってる人のほうがリテラシーを無視してることが多い可能性もあります)
先生が状況を理解され、ご自分のスタンスを決めてカメラの前に立たれていることをそれこそ「わかりやすく」書いていただいたかと思います。ありがとうございました。
[ 2008/06/21 23:51 ] [ 編集 ]

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